ピアノ調律師を目指すきっかけ

僕が調律師を目指したきっかけについて書いていきます。
ピアノを弾く方にとっては正直役に立つ情報ではないのですが、これから調律師を目指そうか迷っている方にとっては少し参考になるかと思います。

調律師を目指した理由と最初のきっかけ

ずばり大学へ行きたくなかったからです。

まさかの理由ですよね。
調律師になった理由について調律師さんに聞くと、大体皆さん情熱溢れるエピソードをお持ちなのですが、僕は特にこれというエピソードはなくシンプルに大学に行きたくなかったんです。

高校時代、”数式が完成した時点でその先を解くことに価値はない”という面白い先生がいたおかげで、数学と物理だけは楽しく勉強していましたが、それ以外はあまり勉強せずにほぼ部活(ソフトテニス)のために通っていました。
部活だけしていたという事もあり大学やその先将来でやりたい事についてのイメージもなかったのですが、”将来やりたい事”を探すためにまた数学以外のやりたくない勉強をしながら4年費やす事はしたくないなぁと思っていました。

高校3年生の夏、とりあえず模試も本格的に受けだしたのですが結果は散々。特に日本史で4点だった時にはさすがに色々な意味で震えました。(学校の試験では前日に教科書を1回読んで短期記憶で臨むタイプでした)。でも文系科目をやるのは学校の試験勉強だけで十分だなぁなんて思っていたところで、自宅のピアノの調律のタイミングが。
そこで初めて”調律師”という職業について興味を持ちました。
完全に大学受験からの逃避です。少しでも大学に行ってやりたい事があれば”調律師”に興味を持つことはなかったでしょう。

ヤマハさんから調律師さんが来てくれていたのですが、その方に「調律師ってどうやったらなれるんですか?」と聞いたのが僕の調律師人生の最初の一歩になったわけです。

その調律師さんはとても親切で、今思えば運よく時間もあったんだと思います。たまたま両親揃って家にいたので、両親も一緒に具体的な話を伺うことが出来ました。

調律師になるには専門学校へ行く必要があるという事。
どこにどのような専門学校があるのかという事。
就職先や働き方について。
ヤマハの専門学校への入り方。

などです。特に「ヤマハの専門学校に入ると基本的にはずっとヤマハしか触れなくなります。今はこの意味がわからないはずです。」という言葉は今でも印象に残っています。
現実にはヤマハの専門学校を卒業されて、ヤマハはもちろん海外メーカーも手掛けている調律師さんはたくさんいらっしゃいます。またコンクールなどを担当されている方は超実力派で、いつの日か是非お会いしてみたいです。
この言葉はおそらく”若い間は”といった意味合いだったのかなと今は思っています。

学校選び~専門学校見学~

ここでも結論から言うと、最終的には実家から最も近い学校を選びました。

実家の調律を終えて調律師さんが帰られた後に、早速いくつかの専門学校について調べて資料請求をしました。都内の学校も含めて見学や1日授業体験などにも行きました。

なんて面白い世界なんだ!

と強く思ったのを覚えています。調律のためなら何でも勉強出来るなぁと感じましたし、良い意味での”ゴールがない感”、いわゆるずっと追及し続けられるだろうという予感をこの時に持ちました。

当時は学校の良し悪しが全くわからなかったので、両親とも相談して実家から3駅の学校を選びました。結果的には完全に正解だったと思います。これは運が良かったとしか言いようがありません。ここでもし都内の学校へ行っていたら、間違いなく僕は今オーストリアにはいないでしょう。

専門学校試験

入学試験はシンプルなものでした。
当時の稲江理事長との面接で調律師としての目標について聞かれて「はっきりとした目標はありませんが、外国で調律はしていると思います。」って今思えばかなり生意気な事を言ったのを覚えています。
そんな生意気な高校生の言葉にも誠実に受け答えをしてくださったのは今でも感謝です。

さいごに

きっかけになったヤマハの調律師さんに調律師のなり方について質問したのが高校3年生の夏休み、専門学校の試験合格が決まったのが9月。わずか2ヵ月の間に決心した将来の道であれから15年経ちますが今のところ楽しく仕事が出来ています。

この記事を書いていて思ったのですが、調律師を目指すか迷っている方にもあまり参考になる話ではないかもしれませんね。自分の記録用として残しておきます。

専門学校からエスピー楽器製作所(シュベスターピアノ)で働き始めるまでについても今度書こうと思います。

以上になります。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。 としさん