日本人ピアノ調律師のウィーン国立音楽大学就職の話

昔話です。

1番最初オーストリアで仕事をしたいと思ったきっかけは映画「ピアノマニア」なのですが、それから巨匠ピアニストのイェルク・デームス先生の夏のマスターコースでの調律をきっかけに具体的にオーストリアで職を探すことになり、2018年の5月にウィーンで彼の家に住みながら就職活動をスタートさせました。結果的にウィーン国立音楽大学でピアノ調律師としての就職が決まったにも関わらず、2019年3月にビザが降りないという法律の壁に阻まれて白紙になってしまったわけですが、この間に起きた話をここに書いていきます。

就職が決まるまで
ビザ取得との戦い

大きくわけるとこの2つになります。
それではスタートします。

まずウィーンについて1番最初にした事、それはドイツ語学校に通う事です。

オーストリアの母国語はドイツ語で仕事に当然必要です。特に就職しようとなると就職試験で絶対に必要になりますよね。なんとか話せるようになるために、空いている時間はほぼ全てドイツ語の勉強をしながら語学学校へも通っていました。

そして就職するには就労ビザをとらねばならず、これがオーストリアという国ではとても難しいと聞いていました。ウィーンで実際に働かれている日本人調律師さんからは、ドイツの方が取得しやすいからまずドイツでビザをとって何年か働いてからウィーンで仕事を探す方が今は現実的だよというアドバイスも頂きました。それでもオーストリアで働きたいのであれば可能な限り大きい会社、例えばベーゼンドルファーかウィーン国立音楽大学でないとまず無理だと思うよと。

しばらくはドイツ語に集中しながら、たまたまのご縁で伺った調律先がなんとウィーン国立音大教授のお宅でした。ご夫婦ともにピアニストで、とても親切な方々です。

そしてその数日後、ピアニスト夫婦の奥様から連絡が。
ウィーン国立音楽大学が正式に1人調律師を募集しているよ!
これは運命的!と思い早速募集要項を見てみたところ、

調律師募集
1人
オーストリア人またはEU(ヨーロッパ)の人
女性優遇

完全に自分は募集条件からは外れていました。
ただこんなチャンスは2度と来ないはず。しかもこのタイミングで。デームス先生にも相談したところ、チャレンジしない選択肢はないだろう。という事で早速募集に向けて動き出しました。

オーストリアの就職事情、職種にもよりますが日本とはかなり違うようでした。
そしてこの国で最も力を持つもの、それは学歴ではなく経歴でもなく推薦状でした。コネです。コネと聞くと印象が良くないのですが、この国ではコネ=信頼です。皆簡単に推薦状は書いてくれません。なぜならその人が悪かった場合、推薦した人の信頼も失くすからです。

そこからここ数年で知り合った人たちに連絡をして推薦状を集めることに。
結果的にはとてもありがたいことに、ウィーン国立音楽大学の教授数人、別の音楽院の教授、ウィーン音大調律師、ベーゼンドルファー調律師、そして巨匠ピアニスト、イエルク・デームス先生にも書いて頂きまして、期限ギリギリに応募しました。

それからしばらくなんの音沙汰もなく、やはり募集要件から外れていたから難しかったのかなと思いながら過ごしていたところ、応募をしてから3週間くらい経った時でしょうか。突然知らない番号から電話が鳴り、ウィーン音大の担当者からでした。

「あなたに興味があるからいついつ来れますか?」
「もちろん行けます!」
「じゃあメール送るからここに来てね」
電話の後すぐに日時と場所についてのメールが届きました。

就職試験当日、デームス先生のアシスタントに一緒に来てとお願いして同行してもらい待ち合わせの場所で待っていると、担当者が迎えに来てくれました。

やはり緊張したのは面接。
鍵盤楽器の管理の統括をされている方と調律部門のトップの方との面接でした。
何が聞かれるんだろうと緊張していたのですが、面接というよりはどちらかというと音大での仕事内容に関する説明がメインでした。いくつか質問も受けたのですが、緊張もあってほぼ覚えていません。ただ、最後の方に言ったジョークがなかなか面白かったらしく、面接の後に同行してくれたオーストリア人も「あれは良かったよ!」と言ってくれました。

面接の最後に「OK、とても良いね。じゃあ2次試験はいついつだけどどう?」という事で、無事に1次試験通過です。
その1ヵ月後、デームス先生のマスターコースを挟んだタイミングで2次試験、次は何の試験だろうと思っていたら今度は大学の人事部の人も一緒に面接。そして、その場で合格が告げられました。

ここから人事の方と一緒にビザの取得を目指すことになります。
オーストリアの外国人就労の法律はかなり厳しい上にとても曖昧に定められています。同じ質問をしても外国人労働局やビザ発給所の職員さんそれぞれ違う答えが返ってきます。大使館も同じです。

そして最初に起きた問題は、ビザのためには労働許可が必要であるにも関わらず、労働許可の申請の必要書類にビザが含まれているという事でした。

音大の人事の方、専属の弁護士の方と一緒にあらゆる方法で書類を集め、使えるコネは全て使いビザ取得を目指していましたが、この時点で僕がオーストリアに滞在できる法律的な日数があとわずかになっていました。

これはもう時間がないという事で別ルートを探した結果、仮免許のような期間限定の就労ビザ “ビザD”というものがあり、これを日本で取得してからオーストリアに来てまた本ビザを申請しようという事になりました。

このための雇用契約書なども全部作り直して日本へ戻ることになりました。雇用契約書の作成には法律に乗っ取った手続きや学長の直筆のサインも必要だったためだいぶ時間がかかり、完成した雇用契約書に僕がサインをして受け取ったのは滞在可能日数まであと1週間ほどのタイミングでした。

帰国後はウィーンへ来る前に働いていた会社でまた働かせて頂きながら、必要な書類集めの毎日でした。その間に音大からもう1人専門の弁護士を雇ったと連絡があり、その方々とやり取りをしながら情報集めも再びスタートしました。

東京にあるオーストリア大使館の方もとても親切で、過去の事例から色々なことをアドバイスしてくれました。ただ僕のシチュエーションは少なくともここ10~20年では初めてのパターンだったらしいです。

当時ビザについて毎日誰かに連絡したり調べていたので、オーストリアのビザに最も詳しい日本人の1人といってよかったと思います。

結局このDビザのためにもオーストリアの労働局からの労働許可が必要という話になり、集めた書類と労働許可のための推薦状も一緒に音大の担当者へ送りました。

すぐに「書類全部届いて申請したよ。やれる事は全てやったし、ベストの準備が出来たはず。あとは良い返答を待ちましょう。」と音大から連絡が入りました。

ここから待てども待てども連絡がこない。正確に言えば週1回音大から「まだ何の返答もありません」というメールが入る日々。労働局に問い合わせたら間違いなくNoの返事が来るという話を過去の事例として聞いていたので、何もすることが出来ずひたすら待つことしか出来ませんでしたが、救いだったのは音大側から夏までは待てるのお互い辛抱強く待ちましょうと言われていた事でした。

そして3月に音大から連絡があり「労働局からの答えはNoでした。とても残念です。」という内容でした。とても残念でしたが、協力してくださった方々、その時働かせて頂いている会社への感謝の気持ちがとても大きかったのを覚えています。関係者の皆様へすぐに結果の報告と感謝の連絡をしました。

結果的には法律の壁に阻まれた形に終わったのですが、この時は間違いなく人生で最も濃い時間を過ごしていましたし、これは誰もが出来る経験ではないのでなんとかこれから学んだことを生かしていこうと強く決心しました。

その後、4月にデームス先生の訃報が入り僕はまだ日本にいて滞在日数の法律でオーストリアへ入れなかったのですが、5月のお葬式のタイミングではオーストリアへ行くことができ、お葬式に参列することが出来ました。

そしてこのタイミングで連絡がきたのが、今僕が働いている会社です。ビザが降りなかった事がオーストリアで噂になっていたらしく、Facebookを通じて連絡をくれて結果的に今働けています。今回のビザも苦労しましたが、前回の経験も生きて無事にビザを取得できました。このビザは間違いなくデームス先生からの贈り物でしょう。

以上になります。長かったですね。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。 としさん