ここまで音楽から痛みや悲しみ、そして祈りを感じたのはいつぶりだろうか。
ウクライナの事で、いつもとは違う心境で会場へ入ったのもあって、音の聴こえ方、音楽の受け取り方がいつもと違うのもあるかもしれません。
ですが、1曲目のショパンの雨だれでは灰色の空から降る静かで冷たい雨を連想しましたし、続くドビュッシーやグリーグでもやはりいつもとは違って、色彩感の中にも痛みというか無力感のような雰囲気など、どこか儚い印象を。
そしてブラームスでは慈愛に満ちた1曲目から始まるわけですが、進むにつれて孤独感や起きていることから目を背けられない現実を突きつけられている、ピアノを聴いているわけですが、ピアノの音というよりは目の前の音楽から様々なことを考えさせられました。
髙木竜馬さんは去年の時点で今回のプログラムについて、「コロナ禍においてなかなか海外に行けない中で、この曲たちを通じて様々な国と時代を一緒に旅することが出来れば」と書いていましたが、後半最後の曲がムソルグスキー展覧会の絵の「キエフの大門」たったこともあり、ウクライナに平穏と平和が戻るようにと各国の人たちが祈りを捧げている、そんなプログラムのように今日は感じました。
アンコールの際には髙木さんもウクライナの事に触れると共に、「今度展覧会の絵を弾く時には、ウクライナに平和な時間が戻り、このキエフの大門も含めて今日とは違う気持ちで演奏できることを願っています。」と。
僕はオーストリアにいたのはほんの数年ですが、それでもウクライナ人とロシア人両方の友人がいます。
髙木竜馬さんはもっと長くヨーロッパにいる事もあって、今起きている事により近く、そして特別な思いがあるんではないかと思います。
そんな中、浜離宮朝日ホールでこのプログラムを深い集中と共に演奏しきってくれたことに感謝です。
椅子に座ってから音が鳴るまでの純度の高い静寂、何か特別なものを感じた方は僕だけではなかったのではないでしょうか。
良い音楽は良い。
としさん@津久井俊彦